7時起き。

昨晩は10時に寝たはずなのだが、もうこんな時間。急いで朝ごはんをつくり、子供にごはんを食べさせ(パンだが)、コーヒーを淹れ、妻の弁当を詰め、朝ごはんを食べて、妻を送り出して8時35分。そこから1時間ばかり、歌ってあそんで、EFに立ち寄り、10時、保育園へ。

EFでは、非常勤先の大学で美学・哲学を教えるS先生を紹介いただく。「わたし、ワンオペ育児なんです」という話から、立ち話をすこし。

11時から1時間ホットヨガで汗をながす。最近、男性も増えてきたが、今日は自分だけ。たつぷりと汗をかく。

かんたんな昼食をとつて、買ひ物。帰宅後、夕飯のポークカレーを仕込み、洗濯と掃除をして、14時。メール仕事などをつらつらしているうちに、子供を迎へにいく時間となる。うどんを食べさせ、風呂にいれて、寝支度をして19時半。カレーを食べて20時。

そこから明日のC大学の期末テスト問題をつくり、K大学、 S大学の成績をウェブ入力する。朝日新聞より、「あるきだす言葉たち」の原稿依頼あり。

不易流行とコンテンツ

6時起き。

午前中から、千葉大で3コマ。

昨晩の雪で遅れるだらうと思つて20分ほど早く家を出て、正解。いつもと同じ時間に到着。校舎までの道、枯木から落ちてくる雪の塊をよけるのが大変であつた。

今年の授業も残すところあと2回。

帰りはまつすぐ大手町のパレスホテルまで。10分ほど遅れて到着。角川俳句賞・短歌賞の贈呈式のち賀詞交換会。みんなで月野ぽぽなさんを祝ふ。さて、このやうな大祝宴に足を運んだのは初めてだつたが、北斗賞で推してくださつた横澤放川さんにお会ひできたのはよかつた。中原道夫さんにもパリでお会ひした以来。「うた新聞」の三原由起子さんにも久々。その他、「朝日新聞」の方などからもお声がけいただいたのだが、ルイ・ジャド2015の白をがぶがぶ飲みすぎて、まさかの自分の携帯電話番号を失念。「よくあることですよ」と言はれたが、よくよく考へてみるとショックである。

2次会は馬場龍吉さんとタクシーに乗り込み、銀漢亭へ。年末にお手紙いただいた島田牙城さんと、少しばかりお話しさせていただく。想像以上に豪快な人だつた。

22時半、帰宅。風呂に入つてすぐ寝る。

ひさしぶりの雨

正午、信濃町にある文学座へ。

2月初旬に演出家の鵜山仁さんに講演会をしていただくことになり、打ち合はせで事務所までお邪魔させていただく。ぢかにご挨拶をするのは初めてなので、こちらの素性をかいつまんでお話しをした。1983年から在研でフランスにいらつしやつた鵜山さん、アヴィニヨン演劇祭におけるピーター・ブルックの『マハーバーラタ』はチケットをとつてゐたのに、諸事情により見に行くことができなかつたさうだ。2月の講演会でもいろいろな話を引き出せたらと思ふ。

15時前に帰宅し、池袋にホットヨガに向かふ妻を見送つたのち、後を追ふやうにして、バスに乗つてココと池袋へ。西武で少しばかり買ひ物。連休最終日、さすがに人が多い。地下のメゾンカイザーにて、バゲットだけ買つて地下鉄で帰宅。ひさしぶりの雨。

あまり凝つた料理をする余力なく、晩飯はひさしぶりにお好み焼きにした。根津に住んでゐたころ、家の近くに「かねけん」といふお好み焼き・もんぢや屋さんがあつて、贔屓にしてゐたのだが、熱々の鉄板があるので、子供が生まれてからは行けていない。いつ行けるんだらう、そのうち行きたいね、などといふ話などをしながら。

さて、明日から授業が始まるのでその準備と、そして翻訳の仕上げと、明日の句会(ふたつ)のための作句。今週は少しやることが多く、乗り切れるかどうかやや心配。ふうう。

永遠のジャンゴ

はや三日。

午前中は、有楽町ヒューマントラストシネマにて「永遠のジャンゴ(Django)」(エチエンヌ・コマール監督、2017年仏)。第67回ベルリン国際映画祭(2017年2月)でオープニング上映された作品で、ベルギー生まれのジャズ・ギタリストであるジャンゴ・ライナール(Django Reinhardt)の伝記的映画。

ジャンゴの「自由気ままさ」が、レダ・カテブ(Reda Kateb)の口先を尖らせた、いかにも不遜な演技によってうまく表されてゐる。戦争にも協力しないが、レジスタンスにも協力しないといふ立ち位置。「ロマは戦争をしない」のである。しかし、それがゆゑにジプシーたちの命は、ほとんど(少なくとも映画のうへでは)無抵抗に失はれてゆく。だからこそ、終幕のレクイエムが胸にひびく。

第二次世界大戦でフランスがナチス・ドイツに占領されてからも、ジャンゴは音楽活動を続け、1940年12月13日に録音された自作曲「Nuages(雲)」は、10万枚以上を売り上げる大ヒット曲となつたらしい。この作品は「占領下のフランスでは即席のフランス賛歌のやうに人々に愛された」とも言はれてゐる。戦時下のフランスで愛された理由は、もちろん演奏の技術だけではないのだらう。

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ちなみに、レダ・カテブはアルジェリア系フランス人の俳優だが、大伯父はカデブ・ヤシン。ヒロイン役のセシル・ド・フランスは、大学の授業でよく『スパニッシュ・アパートメント』(2003年)を見せているだけに、大人になつたなあとしみじみ。42才。

仕事始め

はや二日。

昨日はすつかり書くのを忘れてゐたが、森美術館に「レアンドロ・エルリッヒ展」を見に行つたのだつた。やはり昨年の元日に、森美術館村上隆展を見にいき、正月の美術館は空いてゐると味をしめたのである(主に妻が)。案の定、ゆつたりと見ることができた。

レアンドロ・エルリッヒは、日本では金沢21世紀美術館に恒久設置されてゐる《スイミング・プール》の作家として知られてゐる。一言でいへば、日常空間のなかに「ふとした仕掛け」を施すことに拠つて、驚きを呼び起こすというタイプである。

演劇分野でアルゼンチンといふと、2008年の東京国際演劇祭(TIF)で『溺れる男』を上演したダニエル・ベロネッセ、あるいは同年、横浜の路上で日本の俳優たちと『ラ・マレア』をつくった演出家マリアーノ・ペンソッティ(1973-)がすぐ浮かぶ。と思つたら、国際交流基金にこんないい記事があつた。

プレゼンター・インタビュー:アルベルト・リガルッピ(ブエノスアイレス市シアター・コンプレックス統括館長) | Performing Arts Network Japan

ドイツの影響力が強い、といふ傾向は頷ける。なるほどねえ。

今日は、上野公園まで水族館劇場の「さすらい姉妹」を見に行かうかと思つたが、妻の体調不良もあって、断念。

夕方になつて、上野御徒町で買ひ物。初めてParco-yaを訪れる。夜は惠子さんからお祝ひで頂戴したスペインワインLuna Creciente 2016をいただく。10時就寝、2時には起きて翻訳の仕事をリスタート。妻の風邪を貰つたのか、娘の咳き込みが心配。

謹賀新年

あけましておめでたうございます。

今年からまたブログ(日記)をつけてみることにしました。

いつまでつづくかはわかりませんが、とりあへずは文字通りの日記として。

さて、いろいろあつた2017年も終はつて、小倉に帰省してゐた妻と娘(もうすぐ1歳)が東京に戻つてきてのお正月。1歳の誕生日に合はせて実家に帰ることにしてゐるので、年をまたいでも、いつものやうに家事と雑事をこつこつと……

昨年は小さめの重箱を買ってきて「おせち」をつくつたけれど、今年はさういふこともなく。焦つたやうに大晦日に北千住のカルディで餅を買ひ、即席のお雑煮をこしらへる。昨年(あれ?一昨年か?)は箸の包みに一句したためる、なんてこともしたやうな気もするが、今年はそこまで気が回らず。反省。ともあれ、娘と3人で過ごす初めてのお正月である。窓の外のビルの谷間にくつきりと見える富士を拝む。

家から初富士を眺められるだけでも、この家に住んでいてよかつた、などと思つてしまふのも年齢のせゐだらうか。35才になる年。無理をせず、一歩一歩。